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地域の記憶by前川ゼミ

(更新日: 2014/01/28)

HOME 地域の記憶by前川ゼミ > [06/11/12]塩田平健康ウォーク

塩田平探訪/火定様



第3回塩田平健康ウォーク(2006/11/12)では郷土史研究家・宮本達郎さんにお話をお聞きしながら塩田平を探訪しました。ここでは、宮本さんの解説を通して塩田平の見聞を深めてみましょう。

解説の採録

これね、カジョウ(火定)様と言うんです。どういう字を書くかというとね、火という字と定めるという字を書いて火定(カジョウ)と言うんです。これ、火定様なんです。

実はね、昔ね、そうですね、宝暦2年と言うからね、砲撃騒動(百姓一揆のこと)が起きた頃なんです。青木からこちらへね。その時にですね、その前にね、子どもたちが麻疹、それから疱瘡、そういうものでね、皆子どもたちがそれにかかってね、ひどい苦しみがあった。ひどい場合には死んじゃう。そういうことでね、その現状を見た、この大円寺の第9代のトクホウという和尚さんがですね、これを何とか自分の命に代えて、そして子どもたちの流行の病をなくしてもらいたいと。こういう願いを持ってですね、火定ということをやったんです。

火定とはどういうことかと言うとですね、薪をいっぱい焚いて、そしてその中へ御自分で入られて、そして火を付けて、そしてお経を唱えながら焼けてお亡くなりになると。これが火定なんです。そういうことを9代目のトクホウという和尚さんという人は宝暦2年にやったわけです。お寺の前にですね、ビャクダンとか杉とか松の木とかをいっぱい集めて、そして積み上げて、私がこの中へ入ってお経を上げるが、そのお経が絶えたら村の人に知らせろと。それまで誰にも知らせちゃいけないぞということで薪を積んでですね、そしてこの中で鐘を叩くと…。
 

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