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地域の記憶by前川ゼミ

(更新日: 2014/01/28)

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塩田平探訪/大円寺:践路関の碑



第3回塩田平健康ウォーク(2006/11/12)では郷土史研究家・宮本達郎さんにお話をお聞きしながら塩田平を探訪しました。ここでは、宮本さんの解説を通して塩田平の見聞を深めてみましょう。

解説の採録

この字を何と読むか、これね、一番上の字はね、実践の「践」です。その下がね、難しいね。道路「路」。それでこれは関東平野のカン。「セキ(関)」。それで何と読むかというとね、センロカン(践路関)なんです。センロカン。めずらしいですね。それでね、これは大円寺の第12代のケイリョウという方が書いた字なんですね。

で、今わざわざここに来てもらったのは非常に大事なんです、これ。大円寺をね、先ほどお話しましたけれども、池田長門守は農民の代表を供養するためにお寺を作ってくれると。そこで大円寺の第2代の住職さんがここへ来て、そしてですね、いよいよこれからお寺を作る土地を決めると。こういうことになったわけですね。そこでね、クタニという住職さんなんですが、この住職さんがこの場所に立って、これから大円寺作るけども、これだけ俺によこせと。

お寺作るのに。どういうふうにやったかというと、ここへ立ってね、(自身を大円寺の方を向き両手を上げて)こういうふうにやった。この裏(践路関の碑から現在の大円寺のある側)そっくり俺によこせと。先ほどダイエンキョウというところがありましたね、あそこに。あの辺りも入ると思いますね。

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