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(更新日: 2013/01/03)

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横浜歴史探訪01:英一番館跡~開港広場

蚕都上田とつながる史跡めぐり

横浜は関東大震災、第二次世界大戦の空襲で壊滅的な状態となり、蚕都上田とのつながりのあったものがあまり残っていない。この後、小泉勝夫さんの案内により、横浜市が残した史跡の碑などをめぐった。

▼1 シルク博物館

▼2 ナビゲーターの小泉勝夫さん

▼3 蚕都上田レポーターズ

▼4 英一番館跡の碑へ

▼5 向かいは開港広場

英一番館

この辺が開港後の居留地でした。英国系のジャーデン・マセソン商会が来て、シルク博物館のビルのあるところに商館を建てた。その時に英国系の商社のため英一番館と呼んだ。ご当人たちも英一番館と呼ぶようになった。取引量が多かったときは70%が占めた。開港後、一番先に商館を作った。居留地のため地番を付けた。居留地の番号そのものが山下町の番地になって現在も生きている。

阿部
上田の原町、海野町に地番が付くのは廃藩置県後の明治4年、5年にかけて。当然、これを参考にして付けたのではないか。慶応の地図に赤で番地が記されている。

小泉
開港と同時に地番を付けたのではないか。

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開港広場 日米和親条約締結の地

目の前にあるのが日米和親条約締結の地の碑。ペリーが上陸したのは、この近くの海岸。すぐ先に神奈川県庁がある辺りに交渉の場を設けた。安政元年に調印された。

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旧横浜居留地 煉瓦造下水道マンホール

明治10年代の下水道の跡で文化財に指定されている。居留地にできた下水道が、全国に広まっていった。

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旧居留地90番地の大砲

現在、シルク通りがある旧居留地90番地にあった大砲。全部で3門あった。その一つである。戊辰戦争の時に持ってきたが使われないまま、関東大震災で埋もれてしまった。当時の大砲の姿がわかる。

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横浜海岸教会

横浜海岸教会は、日本では一番古いプロテスタントの教会。プロテスタントの教会である。見学はできない。現在の建物は昭和8年に再建したもの。明治6年にキリスト教が解かれて全国に広まっていった。

阿部
上田の日本キリスト教会に、ここから明治7年頃、宣教師が来た。最初は上田藩主。最後の藩主はキリスト教に入信した。藩主の弟は米国で亡くなった。

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