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蚕都上田放送局

(更新日: 2013/01/03)

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横浜歴史探訪02:山下公園

横浜港と昔の海岸線

大桟橋がかつては生糸を積荷する港だった。昔はシルクセンターよりのところまで海が来ていた。

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山下公園の歴史的背景

山下公園は関東大震災の時、がれきを集めて海を埋め立て、公園として整備した。

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インド水塔

関東大震災で、インドの人たちが日本の人たちに助けられ、そのお礼で建てられた。装飾が綺麗である。

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赤い靴を履いていた女の子の像

この日は強風のため、波浪と土煙が凄まじかった。
山下公園の中には、赤い靴を履いていた女の子の像などが置かれてある。

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生糸も運んだ貨客船氷川丸

氷川丸はアメリカへ生糸を運んだ船である。船底のシ「シルクルーム」に生糸を積み込んで運んだ。氷川丸は昭和5年、横浜で建造された。シアトル航路に就き、戦時中は赤十字船として働き、戦後は引き揚げ船として働き、その後、シアトル航路に復帰した。船が老朽化したため役割を終えた。生糸を運んだ船としては横浜では唯一の船である。昔はお客さんも荷物も運んだ貨客船である。

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フランス波止場の跡

ホテルニューグランドの辺りにフランス波止場があった。

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半農半漁だった横浜村

この辺は入り江になっていた。開港前の横浜村は半農半漁の村であった。開港当時は101戸と言われている。安政6年の開港で、現在の元町に追いやられた。幕府直轄地になり開港場となった。

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西洋理髪発祥の地の碑

開港後まもなく、西洋理髪が入ってきて、日本人が山下町の辺りで理髪を始めたのを記念した碑である。ざんぎり頭が明治2年に始まったと記されている。

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神奈川の養蚕農家

神奈川県の養蚕は2010年で終わった。

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